ハイチ共和国:フォトジャーナリストが見た、日赤の復興支援事業

2012年9月 レオガンにて
藤田看護師撮影

2010年1月のハイチ大地震から間もなく3年。

被災地は復興に向けてどう歩みを進めているのでしょうか。

今回は、1988年からハイチの取材を続けているフォトジャーナリストの佐藤文則氏に、日本赤十字社が支援している保健・給水/衛生事業の活動地レオガンの現状を報告していただきました。

仮校舎が建ち、元気に学校に通っていたジェロ・アミー。2011年1月 撮影:佐藤文則

2012年9月23日、ハイチの国際空港を降り立つと、日赤が活動する町レオガンへと向かった。レオガンは首都ポルトープランスから西へ約30キロ。2010年1月12日に発生したマグニチュード7.0の大地震によって、震源地に近いレオガンは壊滅的な被害を受け、9割の建物が倒壊、2万人以上が亡くなった。

地震から一カ月が過ぎたレオガンの倒壊した学校の前で、18歳の青年ジェロ・アミーに会った。1月12日午後、自宅前の高校に通うジェロは2階の教室で、遊びに来た小学生の弟と一緒に自習をしていた。16時53分、突然、激しい揺れを感じた。その後は、あっというまの出来事だった。校舎が倒壊する寸前に、窓から飛び降りたジェロは、落下した瓦礫の下敷きになった。運良く、命は取り留めたが、右手の指3本を失った。逃げ遅れた弟は、校舎の下敷きになって亡くなった。

1週間に一度、診療所に通う。包帯を交換するたびに、地震の恐怖と指の痛みがよみがえる。始終、うつむきながら話すジェロをいたわりながら、「以前はとても愉快な弟だったのに、あの日から笑わなくなった」と、付き添いの姉が言った。

それから1年後、倒壊した学校跡地に建てられた仮校舎のなかで再会したジェロは、見違えるように元気になっていた。

「あれからカウンセリングを受けました。私のようにけがを負っても、前向きに生きようとする人たちと話しているうちに元気になりました」と、ジェロは笑顔で話していた。未だに地震の傷跡が残る街中で、復興への明るい兆しを見たような気がした。

早朝、赤十字が設置した給水所で大勢の人々が水汲みをしていた。
2012年9月 ©Fuminori Sato

1年8カ月ぶりのレオガンは、国道沿いの被災者のテント村が消え、倒壊・損壊した建物の多くはすでに撤去されていた。代わりに、壁を青やピンクに塗った真新しい仮設住宅が見えた。初めて訪れた人ならば、そこが被災地だと気づかないかもしれない。

レオガンでは、被災直後から日赤が支援活動を継続。現在、日本人職員4人が被災者を対象にした保健・給水/衛生事業を行なっている。

被災後、早急に必要とされたものは水だった。各所のテント村には支援団体により即座に給水タンクが設置された。まことに皮肉な話だが、その当時、バケツを手に水を汲みにいく被災者の姿を見て、彼らがこれほど簡単に水にアクセスできる環境にいるのは、これが初めてではないだろうかと思った。それほど、一般のハイチ人にとって、水を得ることは大変なことだった。

しかし、テント村を離れれば、以前のように水に難儀する生活。また、地震によって水脈が変わり、枯渇した井戸もある。さらに、追い討ちをかけるかのように、地震から10カ月後、北部のアルティボニト県で発生したコレラは、汚染した水と不衛生な環境が原因で、瞬く間に全土に蔓延した。これまでに50万人以上が感染し、7,000人以上が死亡した。

蚊帳を配布する日赤の看護師 2012年9月 ©Fuminori Sato

「私たちの活動は地味な作業とも言えます」

日赤から派遣された職員の一人、保健事業マネージャーの池田看護師長はそう述べる。早朝、ハイチ人スタッフとの綿密な打ち合わせを済ませた職員は、彼らと一緒に郊外の村々を回り、設置されたトイレや井戸が正しく使われているかを確認。村人や子供たちを集めて、マラリアやコレラの予防、手洗いの講習会などを開く。

給水/衛生の講習会をサポートする日赤看護師 2012年9月 ©Fuminori Sato

だが、職員たちの姿が目立つことはない。具体的な作業を行なうのは、将来的にこの事業を受け継いでいくハイチ人スタッフとボランティア。彼らの傍らに付き添いながら、必要とあれば助言する。サポート役に徹した職員たちの姿がとても印象的だった。

溝を清掃するボランティアと住民たち 2012年9月 ©Fuminori Sato

バス・シャトーという町を訪れた時のことだった。

100人以上の住民が、鍬とスコップを手に溝川の清掃と、道路の中央に開いた水が溜まる窪みに土入れの作業をしていた。水が溜まれば、マラリアとデング熱を運ぶ蚊が発生し、溝から溢れた汚水が井戸水を汚染する可能性があるからだ。

長くハイチを取材してきたが、無償でこのような活動をしている大勢のハイチ人たちを見て、驚かされた。ただ与えられるだけではなく、コミュニティのために自らが行動する自覚が芽生えてきたのだろうか。日赤の職員たちの地道な作業が、少しずつながらも人々の間に根付き初めているように思えた。

ハイチの復興は、長い時間を必要とする困難な作業である。日赤にはこれからも、長い目でハイチ支援を続けていただきたいと切に願う。

レオガンを去る日の朝、復興が進む賑やかな市内を見て回った。道路と下水の大掛かりなインフラ整備工事が各所で行なわれていた。
「将来は土木技師になりたい」と、言っていたジェロ。その夢を実現するために、彼は元気に学校に通っているだろうか。

目を輝かせながら、語っていたジェロの姿を思い出していた。

※本文中の写真は、フォトジャーナリストの佐藤文則氏が撮影しました。

佐藤文則氏のウェブサイトはこちら