南スーダン紛争犠牲者救援事業 小川看護師、7回目の派遣終了「若い力に希望見た」

南スーダン・ベンティウ病院での負傷した戦闘員の緊急手術のため、出発準備をしているICRC移動外科チーム。© ICRC/Tom Stoddart

南スーダン・ベンティウ病院での負傷した戦闘員の緊急手術のため、出発準備をしているICRC移動外科チーム
© ICRC/Tom Stoddart

「長く続いた内戦の影響で、いのちを救う志さえ失ってしまう看護師が少なくありません。でも、武力衝突が間近に発生するという厳しい環境下で働く若い看護部長はそうではありませんでした。この一人に影響を受けて、周りの看護師もきちんと動けています。これなら大丈夫。南スーダンの医療の未来は明るいと思うことができました」

赤十字国際委員会(以下、ICRC)の「スーダン・南スーダン紛争犠牲者救援事業」に、日本赤十字社(以下、日赤)の派遣要員として1992年から現地の看護師育成などに携わってきた小川里美看護師。

2012年4月25日に7回目の派遣(内2回はケニア国内のロキチョキオ)から帰国し、前年に独立したばかりの南スーダンの看護師たちの近況をこのように伝えてくれました。

くすぶる内戦の残り火、24時間の出動態勢

今回の派遣で小川看護師が駐在したのは、スーダンと南スーダンの国境付近にあるマラカル教育病院。

そこで看護師の指導に当たるかたわら、内紛の残り火、武力衝突が起きた際に出動する移動外科チームの一員として24時間体制でスタンバイしていました。

「帰国は後ろ髪を引かれる思いでした」と語るのは、任期後半になって南スーダンとスーダンの軍事的緊張が高まり、傷病者が増え始めていたからです。

3月下旬にユニティー州ベンティウで発生した衝突では、地元病院から手術応援要請を受け、ICRC専用飛行機で現地に飛び、2泊3日の支援に当たりました。そこで小川看護師が驚いたのは、「私たちが駆け付けるまでに、その病院の医師と看護師できちっと応急手当てができていたのです」。その中心になっていたのは、まだ20代と思われる看護部長でした。

若い看護部長に見出した将来への希望

ICRC移動外科チームのメンバーが患者さんを搬送している。© ICRC/Tom Stoddart

ICRC移動外科チームのメンバーが患者さんを搬送しています ©ICRC/Tom Stoddart

「おそらく南スーダンでは、約7割の看護師さんがきちんとした教育を受けられていないといわれています」

足掛け20年、現地で看護師育成を担ってきた小川看護師の実感です。読み書きができず、足し算もままならない看護師が大部分といいます。

「脈を数えてと言うと、みんな60になっちゃうんです。時計の秒針を見ながら数えてしまうから」

そうした状況にあって、しっかりした知識を備え、周りの看護師を引っ張っている若い看護部長は、小川看護師の目に新鮮に映りました。

長期にわたるの内戦で失ってしまった、もしくは備わらなかった『人を助ける』という看護師の心構えが、その看護部長には見て取れたといいます。

「この看護師さんは、普段私がマラカルで接している看護師さんと同じ大学の出身で、何がこうも違いを生んだのか分からないのですが、紛争に一番直面している病院が一番機能していました」

「助ける」のは誰もが自然にできること

本事業では小川看護師自身、指導する立場として、看護師の知識不足や言葉の壁に大いに苦しみました。それでも、教え子たちの確かな成長を感じるなかで、「私の意思や両手ができることは限られているから、自分が何かしてこの国を変えていくのではなく、現地の人の力を少しでも後押しできれば」との思いを強くしたといいます。

20年間・7回にわたる派遣の中では、患者からも励ましをもらいました。ひどい下痢にかかった時、入院している兵士が1週間に1度しか出されないオレンジを、「里美、今はあなたが一番弱っている。一番しんどい人が食べるべき」と差し出されたのです。「『人を助ける、思いやる』行為は、自然にできることだと教えてもらいました」と小川看護師は振り返ります。

新興国・南スーダンに必要な支援について、「草の根レベルの活動も大事ですが、まずは政府主導でしっかりした政策を打ち出すことが重要」と小川看護師。以前指導を担当した時には教科書もなかったジュバ(現・南スーダン首都)の看護学校が、今ではパソコンを備えるまでになったと、政策の効果を説きます。

「せっかく立ち上がった国だから前に進んでほしい」と期待を込めるとともに、「政策面でいろんな選択肢があることを提示できるような支援を今後していければ」と語っています。