中国大地震から3年:着実な復興、日本へのエールも

中国四川省で2008年5月12日に発生し、約8万7000人の命が失われた中国大地震から3年。「3年の復興計画を2年でほぼ達成する」という中国政府の大号令のもと、空前の規模とペースで復興事業が進められてきました。3年たった今、被災地のインフラは国内外からの支援によりほとんどが回復、また支援が集中した激震地などは見違えるほどきれいに整備され、本当にこの地区が被災したのかと疑うほど震災前以上の発展ぶりを示しています。

日本赤十字社(以下、日赤)は、皆さまからお寄せいただいた救援金をもとに、地震直後には約9000世帯分のテントや食糧、衛生用品を届けたほか、この3年間で約2万世帯の住宅、30の学校、39の病院の再建などを支援してきました。このうち、住宅再建支援は既に完了、学校も3分の2、病院は全体の9割以上が完成しています。

日赤の事業地の今と、東日本大震災に寄せられた応援の声をご紹介します。

続々と完成する再建施設

00002245_s_1_VcContents_B-0_VcContentsImage_B001.jpg

学校再建の竣工式での「私たちの心は日本の被災者とつながっています」という横断幕(4月26日四川省巴中市南江県)

地震から3年を目前に、四川省巴中市南江県の碾盤(ねんぱん)小中学校が完成しました。

ここは震災から1年半後に初めて視察した時にはまだ再建のめどが立っておらず、中学生は地震で危険施設となったボロボロの学生宿舎で過ごしていました。

また、小学生も被災を逃れた数少ない教室で、一クラス80人を超えるすし詰め状態で勉強していました。

身動きもままならない教室は夏には大変蒸し暑く、冬にはインフルエンザの流行により何度も学級閉鎖に追い込まれました。

日赤の支援による教室棟と学生宿舎が完成し、子どもたちはようやく、これまでの過酷な3年間に別れを告げることができました。これからは快適で安心して過ごせる空間が子どもたちを待っています。

また、日赤が再建した学校の中で最大規模の中学校(四川省広元市青川県・喬庄中学校)が5月10日に完成し、盛大な竣工式が行われました。

激震地の一つだった青川県は、地震後も豪雨による土石流に見舞われるなどの多くの困難を乗り越えて、ようやく学校の完成を迎えました。

残された課題

00002245_s_2_VcContents_B-0_VcContentsImage_B001.jpg

地震で夫を失った唐さん。養鶏の職業訓練を受けたことが収入増加につながりました(四川省徳陽市綿竹)©IFRC

しかし、被災地のすべてが順調に復興した訳ではありません。家を失った被災者の大半は住宅再建こそできたものの、安定した収入が得られない人も少なくなく、住宅ローンの返済が重荷となっています。

これに対し、日赤は国際赤十字を通じて、畜産、建設、調理などの職業訓練を通じた就労促進や、小規模融資を通じた起業支援も行っています。

また、支援がなかなか行き届かない辺境地区や少数民族地区では、震災から2年以上経ってようやく再建が始まった施設も少なくなく、日赤の事業でもまだ工事中の案件が少数ながら残っています。これらも2011年度中の完成に向けて、急ピッチで工事を進めています。

日本の被災者への応援の声

00002245_s_3_VcContents_B-0_VcContentsImage_B001.jpg

東日本大震災のために募金活動をするチベット族の子ども達(四川省アバ自治州。日赤が学校再建を支援)

3月11日の東日本大震災は、中国でも衝撃的なニュースとして報じられました。

同時に、中国大地震の被災地、特に日赤の支援を受けた学校や病院のある地域では、「今こそ日本に恩返しを」と、地震発生直後から募金活動が各地で湧き起こりました。

日赤が再建支援をした学校の生徒たちも進んでお小遣いを寄付してくれました。これらの支援活動で集まった寄付は、四川省内だけで100万元(約1200万円)に達し、日赤に寄付されました。

四川省巴中市南江県の碾盤九年制学校の秦(5年生)さんは、「私たちを助け、こんな素晴らしい学校を建ててくれた日本のお友だちが、地震と津波の被害に苦しんでいるのは本当に残念。でも強い気持ちで困難に打ち勝ってほしいです。私たちもそうやって乗り越えてきました。日本のお友だちのためにできることがあればこれからも何でもしたい」と声援を送ります。

同校では多くの生徒が日本の被災地の子どもたちに宛てて手紙を書き、日赤に届けてくれました。この中の手紙の1通をご紹介します。

四川の小学生から、東日本大震災で被災した子どもたちへのお手紙