平成27年6月 第86回代議員会挨拶

近年、天変地異と呼べそうな大規模な自然災害が、日本のみならず世界中で多発しております。4月末にはネパールをマグニチュード7.8の大地震が襲い、死者8000人以上、被災者560万人の大きな被害をもたらしました。

日本赤十字社は、発災翌日に保健医療チームを現地に派遣し、現在も14名が医療活動やこころのケアを続けております。

これからは、これまでに寄せられた11億2000万円の救援金によって、今後2年間に約70万人を対象に、国際赤十字・赤新月社連盟のもとで、長期にわたる復旧・復興に取り組んでまいります。

私は、実は今年1月にネパールを訪問したばかりでした。両国の赤十字の間には、長い交流の歴史があります。私自身、入社して間もない1968年に、インドのカルカッタから首都カトマンズまでの約900キロを、トヨタから寄贈された救急車を運んだ経験があります。トヨタからはその前後にも、返還前の沖縄の赤十字とアフガニスタンの赤新月社のために、広報宣伝の見返りとして救急車の寄贈を受けました。国際活動にはほとんど予算が付かなかった時代ですから、使い古した足踏式ミシン、粉ミルク、衣類等、何でもいただけるものはいただき、途上国の社に届けていました。

日赤のネパール赤十字社に対する支援の中で特記すべきは、80年代の初めから20年間にわたって行った、安全な飲料水を供給するための開発協力です。1万1000の井戸が掘られ、簡易水道が引かれ、水の確保に日々数時間かけていた約140万人がその恩恵を受け、衛生環境も大幅に改善されました

青少年赤十字にとってもネパールは近い国です。古くから、児童・生徒間でのアルバム交換や、一円玉募金による教育支援を行うほか、国際交流では1970年から継続的に青少年の代表を招き、多くの友情が育まれました。

今回、大きな被害を受けた首都カトマンズは、かねてから、いつ巨大地震が起きてもおかしくないと言われてきました。しかし、国は貧しく、住民の防災意識は低く、建物の耐震性は弱く、国際的な支援が待たれていました。しかも、一朝有事の際には空港は狭く、周辺からの陸路によるアクセスが悪いために、救援活動には大きな困難が予想されていました。近年は不安定な政情が続き、効果的な対策が講じられぬうちに悪夢は現実となりました。

ハイチの大地震の時もそうでしたが、貧しい国を元に戻すだけの復旧では悲劇は繰り返されます。そこで今回も、「ビルド・バック・ベター」をスローガンに、国際社会は開発を視野に入れた復興を目指していますが、前途は多難です。私は来週中に、再度ネパールを訪問し関係者と復興の方向性を話し合うこととしています。

毎度のことながら、国際救援の現場は修羅場です。押し掛ける無数の救援団体の行動を御すことは難しく、さながら陣取り合戦の様相を呈します。それでも、今回のネパールの大地震の後、日赤は真っ先に被災地入りを果たし、活動拠点を確保しました。それが可能だったのは、これまでの長い付き合いが両国の赤十字の間にあり、現地に土地勘のある職員がいたからです。

救援活動は、国内でも海外でも初動が大切であり、誰かの指示を待って動くのでは好機を逸します。しかし、そうした「抜け駆け」が許されるには、日頃の関係者とのコミュニケーションの積み重ねや信頼関係があってこそだと、改めて痛感しています。

国際赤十字・赤新月社連盟では、「人道外交」の一環として、各国に救援の受け入れ体制を、法的にも制度的にも、日頃から整備するようにと助言しています。1月にネパールを訪問した際、連盟会長として大統領にもそうアドバイスをしたところでした。

赤十字以外の多くの海外からの団体が、一週間から二週間で引き上げてしまう中で、私たちが長期にわたり腰をすえて復興にかかわれるのは、世界189カ国にネットワークを持ち、被災国に受け皿となる赤十字社があるからです。同じ()で結ばれた、この人道のネットワークこそが、赤十字の何よりの強みと言えるでしょう。今年は、赤十字の「人道」「公平」「中立」「独立」「奉仕」「単一」「世界性」の7原則が採択されてから50年になります。相互に助け合う各社のネットワークは、この「世界性」の原則から導き出されたものです。

今年はまた、わが国にとっては戦後70年という節目の年であり、日赤にとっては、看護師の養成を始めてから125周年という年でもあります。日赤の事業の中では、病院経営が圧倒的に大きな比重を占めており、年間約2800万人もの方が受診されています。それでも、全国の総ベッド数に占める日赤病院のベッド数の割合は、約2%にすぎません。他方、血液事業は独占ですし、災害救護で果たす日赤の役割には大きなものがあります。しかし、最も伝統がある看護師養成は、多くの競争相手がいる中で、3%という一団体としては最大のマーケットシェアを誇っています。

そもそも、赤十字病院の多くは救護のための看護師養成のために創設され、今日でも、22の赤十字の看護教育施設の学生の研修の場としても機能しています。私たちは、赤十字の教育を受け、救護員として養成された看護師が優秀であることを誇りとし、また「売り」にしてきました。これから高齢化が一段と進み、それぞれの地域において、医療、福祉、介護が包括的に取組まれるようになれば、看護師がチームの中で担っていく役割はますます大きなものとなって行きます。

現在、日赤病院92の看護師3万6000人のうち、赤十字看護教育施設の卒業生が占める割合は41%です。これからも、質の高い赤十字看護師の養成が、日赤にとって重要な課題であることは間違いありません。「各地に看護大学が新設される時に、なにも日赤が、無理してやらなくても」という意見もあるにはありますが、共通の教育を受け、共通の使命感を分かち合う質の高い看護師は、日赤のブランドイメージを高め、異なる赤十字事業を一つにつなぐ上で、欠くことのできない存在であると考えております。

ご承知のとおり、今年は広島・長崎への原爆投下から70年という年でもあります。国際赤十字は近年、核兵器の使用は人道のルールに(もと)り、その結果に対して何人も責任を負えないことから、廃絶すべきと繰り返し訴えてきており、その主張は先に行われた核不拡散条約の交渉でもたびたび引用されました。しかし核軍縮の歩みが停滞する中で、その声はかき消されてしまいました。被爆者の数が、高齢化で年々減少するなかで、日赤としては、この秋、四年に一度政府も加わって開かれる国際赤十字・赤新月社会議で、彼らの切実な思いを発信していきたいと考えております。

冒頭、ネパールへの救援活動を例に挙げ、日頃からの地道な活動が、いざという時に力を発揮するという話をしました。それは、国内の災害救護にも当てはまりますし、社資や義援金の募集についても言えるでしょう。

わが国だけではなく海外でも、人道活動に取り組む団体は増え続けております。その結果、各国の赤十字は優秀な人材やボランティアを引き付け、資金を集めるのに苦労しています。

一昔前のように、赤十字という看板だけで資金を集めるのは容易なことではありません。相応しい活動、活動の透明性、効果的な広報、分かりやすい説明責任の徹底、支援者の参加意識の向上等、やるべきことは山とあります。

幸い、使途が明瞭な災害時の義援金は、相変わらず多く寄せられています。それも、国民の日頃からの信頼感や期待感があってこそでしょう。伝統的な地域社会の強い絆を生かした募金は、これからも重要であり、代議員や奉仕団の皆さまの力が不可欠であります。と同時に、インターネットやソーシャルメディアの活用など、時代に即した広報活動や資金募集にも、積極的に挑戦していかなければなりません。

「いつの時代も大変だった」と言われます。確かに今日も、われわれが関心を持つべき課題はいくつもあります。その中で、赤十字の原則に照らして、日赤のやるべきこと、日赤ならではやれることは何か、そして、それに見合った組織の在り方を、本日お集まりいただいた皆さまとともに考えていきたいとの思いを最後に申し上げ、私からの挨拶とします。

日本赤十字社 社長 近衞忠煇