平成26年5月 平成26年全国赤十字大会あいさつ

 本日、日本赤十字社名誉総裁皇后陛下ならびに名誉副総裁秋篠宮妃殿下、高円宮妃殿下をお迎えし、日ごろから赤十字の活動を支えてくださっている多くの皆さまとともに、全国赤十字大会を開催できますことは大きな喜びであります。

 今年は、皇后陛下を名誉総裁にお迎えしてから25年になります。その間にいただいた数知れぬお励まし、お心遣い、ご支援に対し、この機会に一同を代表して心より感謝を申し述べます。

 今年は、1864年に最初のジュネーブ条約が締結されて150年という記念すべき年にもあたります。このわずか10カ条の、別名、赤十字条約とも呼ばれる条約には、「赤十字の中立の旗の下で、人道的な救護の活動に携わる人員や施設は攻撃の対象としてはならない」という誰にも分かるはっきりとしたメッセージが託されています。

 人類が誕生してこのかた、地上に戦火の途絶えた時期はほとんどなかったといわれます。そして古今東西、数知れぬ悲劇が記憶される一方で、戦場での美談もまた数多く伝えられてきました。

 一例を挙げるならば、14世紀にわが国の朝廷が南北に分かれて内乱が起きた際、鎮圧のために軍を派遣された後醍醐天皇は、戦闘方法、捕虜の扱い、住民の保護、文化財の保護など、今や国際人道法と呼ばれるまでに発展したジュネーブ条約の精神を、500年も前に先取りするかのような細かなお達しを出しておられます。

 赤十字の創設者アンリ―・デュナンの偉大さは、それまでもっぱら為政者や戦場の指揮官の裁量に委ねられてきた戦場での人道的な取り組みを、人類共通のルールにまで高め、広め、それを確保する手段として赤十字の組織を起ち上げたところにありました。

 幕末にヨーロッパを訪れ、生まれて間もない赤十字の運動に触れる機会のあった佐野常民は、1877年(明治10年)に、不平士族が明治政府に反抗して西南の役を起こすと、すぐさま博愛社の設立を思い立ちます。そしてその10年後、わが国のジュネーブ条約加盟に伴って名称を変えた日本赤十字社は、戦時の救護に必要な人材を養成するために、東京に最初の病院を設けます。磐梯山が噴火し、多くの死傷者が出たのはその翌年のことです。

 病院からは、時の皇后、後の昭憲皇太后の直々のご命令によって、医師が被災地に急行しました。それがその後、日本のみならず、国際的にも赤十字の活動の大きな柱に育っていく災害救護のはしりとなりました。

 第一次大戦が終わった1919年に国際連盟が創設され、戦争の危険が遠のくと、各国の赤十字の平時の活動を推進するために、赤十字社連盟が設立されます。その誕生に、平時の活動の実績を積んできた日本赤十字社は深くかかわりました。

 現在も紛争は、止むことがありません。中東のシリアでは、多くの一般市民が戦闘に巻き込まれ、救護に当たっている赤十字・赤新月のスタッフやボランティアまでもがしばしば攻撃に遭い、犠牲者が多数出ています。周辺国には数百万の避難民が流入して、大きな負担を強いています。その上、統制のとれない戦闘員の増加、無人兵器の登場、民間軍事企業の介入等、新たな事態もあちこちで進んでいます。

 こうした現状に対応するのに、現行の国際人道法は果たして十分なのかといった声が当然のように聞こえてきます。しかし、法やルール以前に、「戦いの中にも慈悲を」というアンリ―・デュナンの悲痛な叫びに謙虚に耳を傾け、その精神を守ろうとする決意がないならば、人類は150年前の、無法がまかり通る争いの時代に逆戻りするしかないでしょう。それが赤十字の立場です。

 グローバル化した時代にあって、各国の赤十字の平時の活動も当然のように変化を求められています。気候変動に伴う災害の多発や大規模化は、より強い連帯した取り組みを各国の赤十字社や国際社会に強いています。国境を越えての人口移動や貧富の格差は、各地で政治的、社会的な軋轢を生んでいます。

 人類が未だ経験したことのない、こうしたさまざまな試練を前に、われわれ一人ひとりが、一市民として、一ボランティアとして、いやそれ以前に一個の人間としてどうかかわればよいのか、そして赤十字は人びとの人道的関心と善意を生かすために、どんな場と機会を提供できるのか、それは、われわれが東日本大震災の後に突き付けられた課題でもありました。これからも、皆さまとともに考え、行動していくことを誓い、ご挨拶とさせていただきます。

日本赤十字社 社長 近衞忠煇