平成25年12月 第1回赤十字原子力災害セミナー開会あいさつ

 東日本大震災は、多くの貴い人命を奪ったのをはじめ、各方面に甚大な被害をもたらしたことは我々の記憶に新しいところです。その中で、未だに多くの被災者が不自由な避難生活を強いられており、特に福島第一原発事故の影響では、約15万人もの方々(県外9.5万人、県内5.4万人)が、いつ故郷に戻れるかも定まらないまま不安な日々を送っておられます。

 福島原発事故が起こったとき、わが国では原発の安全神話が広がっていました。事故の可能性に触れることはタブーであり、一部の関係者を除いて、万が一の際のリスクの情報は共有されておらず、国をあげてのトータルな備えが十分ではありませんでした。我々日本赤十字社も、原発に近い一部の赤十字病院を除いて、原子力災害を想定した準備はほとんど出来ていませんでした。そのため、事故発生後、速やかに被災地に向かったものの当初の救護活動は手探りで進めるしかありませんでした。

 まず問題となったのは、情報の不足と混乱でした。情報の的確な把握ができず、憶測に基づく放射線によるさまざまな影響について、専門家の間でも異なった情報が入り乱れ、それが地域住民はもとより、広く日本国民や海外にまで混乱を引き起こし、風評被害もさまざまな形で現れました。正しい行動をとるために、事前に備え、正しい情報を正しく把握し、タイムリーに伝えることの重要性が改めて強く認識されました。

 海外での原子力災害では、1979年のスリーマイル島事故、1986年のチェルノブイリ事故が広く知られていますが、災害対策の情報は各国とも多くを秘密の扱いにしているために、備えが十分でないのは国際社会においても同様です。

 現在、商業利用や学術研究等を目的として、世界にはおよそ30カ国に400基以上の原子炉が存在しています。どこの国でも赤十字は、国のエネルギー政策を左右する原発の存廃について、その賛否を表明する立場にはありませんが、原子力の利用による事故の可能性を否定できない以上、不測の事態に備え、何をなすべきかが問い続けなければなりません。事故の影響が多岐に亘り、国境を越えて広域に及ぶ可能性が高いことを考えれば、対策には国際的に共通な取り組みが求められます。

 そのような問題意識を背景に、国際赤十字・赤新月社連盟では、原子力災害に対する備えを強化していくことを、2011年11月の総会で決議しました。そのフォローアップとしてまず、「原子力災害対策にかかる赤十字会議」を2012年5月に東京で開催しました。連盟はこうした動きを、IAEAや国連人道問題調整事務所(OCHA)と協力して行っており、私自身も連盟会長として、昨年郡山で開催された「原子力安全閣僚会議」に出席して、赤十字の取り組みについて報告しています。この11月の連盟総会では、こうした連盟の取り組みの進捗が報告されました。

 日赤からは、10月の「原子力災害情報センター」の立ち上げと、そこでのデジタルアーカイブによる情報の蓄積・発信を通じて、連盟が作成しようとしている原子力災害に向けた国際的なガイドラインの作成に協力していくことを表明しました。

 日赤の福島第一原発事故における取り組みは、国際的にみても貴重な経験でした。原爆投下と原発事故という2つの重くて辛い経験をした唯一の国の赤十字社として、我々には福島での経験を国際社会と共有していく責務があり、赤十字原子力災害情報センターの設立はその取り組みのひとつでありました。

 センターの当面の目的は二つあります。ひとつは原子力災害と、その対応に関する国内外の情報を収集・蓄積し、それを広く提供することです。もうひとつは、福島での経験を基に、原子力災害時の赤十字活動のガイドラインを策定・普及することにあります。

 福島第一原発事故から二年半が経過し、当時の貴重な生の情報や記憶が散逸・消失しつつあります。それを可能な限り早期に収拾し、広く社会の財産としてアーカイブに収めるこの取り組みは大きな意義のあるものと考えます。特に、放射線汚染の現場で活動した救護班メンバーへのインタビューなどは、当時の生々しい状況を知ることのできる大変価値のあるものと言えます。

 センターのもうひとつのミッションは、原子力災害時の赤十字活動のガイドラインを定めることです。事故後の反省のひとつとして、原子力災害時における日赤の対応が定められていなかったことがあります。

 ガイドラインには、事故が起きる前に、事後に、将来に向けて何をすべきかいった観点が含まれます。その中で、医療救護、健康管理、こころのケア、ボランティア活動、弱者への対応など、赤十字が関わるさまざまな分野への網羅的な対応の指針が示されます。デジタルアーカイブで蓄積された情報をベースに、実践可能な活動のガイドラインとして発信・普及していくことで、赤十字関係者のみならず市民の皆さまにも役立つものと確信しております。

 原子力災害に伴う放射線のリスクを、正しく知り、正しく備え、正しく対応するための道筋を示すことが「原子力災害情報センター」のミッションであり、このため幅広く有識者の知見を結集することがとても重要だと思っております。

 わが国は東日本大震災の後に、数多くの国や人々から多大なあたたかい支援を受けました。その善意を復旧・復興に生かす一方、これまでに得られた多くの教訓を災害の対策に生かしていくことによって、少しでも恩返しをしてゆくことが我々に課された責任だと思っております。それこそが不幸ながらも貴重な経験をした、日赤にしかできない国際貢献であると考えます。

 今回のセミナーが、その第一歩になることを祈念し、私のご挨拶とさせていただきます。

日本赤十字社 社長 近衞忠煇